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ソ連崩壊は1976年に予想されていた

参考書籍
1.最後の転落 ソ連崩壊のシナリオ エマニュエル・トッド著(原著1976、1990発行) 石崎晴己監訳 藤原書店 2013.1.30発行

1976年、著者が25才のとき、ソ連の崩壊を予想して書いた。予想の根拠とした事実は、人口統計である。 なお、実際にソ連が崩壊したのは、1991年である。 具体的根拠は、次のとおり。

1.ソ連の乳児死亡率が異常に高い

歴史人口学者である著者が歴史人口統計学の知識からソ連の乳児死亡率が異常に高く、更に増加傾向にあるという2点の事実から、ソ連の経済的退行を確信した。
(注)乳児死亡率:1才未満の子供の死亡の頻度を示す指数。新生児1000人に対する比率。

	年      ソ連      フランス
1970年     24.4     18.2
1974年     27.7     14.6
(1)この数字は、人口統計学者を唖然と言わせるほどのもの。
(2)医療、食料供給システムの急激な解体を示す。
(3)生活水準の絶対的退行を示す。

2.1964年以降、ソ連の男性平均寿命が減少している

原因は、変死(自殺、殺人、事故)、急性アルコール中毒、肝硬変、消化器系癌である。 しかし、年齢別特性分布を見ると、特に25才から35才の男性死亡率が、フランス、スウェーデンに比較し、異常に高い数値を示していることから、変死が多いと結論づけた。 この事実は、ソ連において、当時、自殺、個人的暴力、国家暴力が横行していたと推定した。 すなわち、ソ連国内で反体制的行為が、孤立した少数派の仕業ではなく、国内全体で発生していると推定した。

(注)ソ連の平均寿命
   年     男       女
1965年   66.2才   74.1才
1970年   65才     74.2才

乳児死亡率の増大と変死死亡率の増大が同時に発生している。
このことは、次のことを示す。
(1)全般的な社会的解体
(2)国家に対する声なき反対の勢力増大
(3)つじつまの合わない無秩序な抑圧
(4)影で行使される個人的暴力の発達


上記の人口統計が示す結果にもとづき、著者は東欧ハンガリー旅行で、現地友人との議論を踏まえ、ソ連・東欧を次のように分析し、ソ連崩壊の必然性を確信した。 なお、ソ連・東欧のベールに包まれた経済状況を判断するために、公表されている信頼できない統計に依拠せず、次の方法で分析した。
(1)政治・イデオロギーから遠い人口統計を使う。
(2)事実を反映している西側とソ連・東欧との輸出入統計を使う。

1.ソ連のプロレタリアート独裁は、実際は、特定少数者である特権階級(官僚体制)独裁となった。

ロシアの支配者は、クラーク(富農)、小ブルジョアから新特権階級に変わっただけである。 ソ連の労働者は隷従状態にある。 工場管理職の給与は、労働者の10〜30倍と推計される。 労働者は、行政の許可なく居住地を変えられない。 シベリアに強制的に転任させられる労働者がある。 若者には、2年間の兵役がある。軍隊の規律として道路の営繕などの実質強制労働を強いられる。 これらの隷属性に従順でない場合、労働者は労働収容所で強制的に労働を課せられる。 ハンガリーの場合、労働収容所には、知識人は少なく、労働者が大半である。

2.ソ連・東欧の労働生産性の低さは、労働者の疎外をあらわしている。

中世を思わせる奴隷的境遇は、技術的停滞を招く。 労働組合とスト権がないので、賃上げ要求が表面化しない。 賃金上昇がないと、工業において技術的進歩を適用するような機械の生産性をあげるための要求が起こらない。 西側では、不断の賃金上昇により技術面での進歩を迫られる。 賃金上昇すると、企業は人手を減らすため改良された機械の導入をはかる。 さもないと、生産性の低い企業は、退場を迫られることになる。 そのため、全体として平均生産性が増大する。 ソ連・東欧では、賃金は凍結されており、生産性を高める要求は生じない。 また、企業が消滅する心配はない。従って、技術的停滞が継続し、生産性は向上しない。 古代が科学的進歩の偉大な時代であったにもかかわらず、古代の奴隷制度では、無尽蔵の奴隷市場があったので、技術的進歩はなかった。

3.農業の集団化は失敗であった。

1929年、スターリンは工業計画化と農業の集団化を同時に進めた。 農業の集団化は工業への資金供給のためであった。 大規模経営の農業だけが、地代を回収できるとして、農民から土地を召し上げた。 ソ連の農産物価格は恣意的に極度に低水準に固定された。理由は、実質的に国家が地代を徴収するためである。 生産品目は中央集権的に決定された。家畜の生産は、もともと個別的に世話が必要なため、集団化によって一挙に崩壊した。 農民の生産向上の刺激がないことから、生産の停滞を引き起こした。 1930年以降、西側の農業生産の成長に比較して、ソ連の成長は、はるかに低下した。 一方、農民に与えられたわずかな個人農地の生産性は10倍に成長した。

ソ連の農民は、9世紀の封建領主の農民と同様になった。 領主は農民に領地を耕作させたが、農民は自分の小農地の生産物で生活した。 ソ連の農民は、これと同じ境遇となった。 このような封建制農業でも、単なる農奴による大領地耕作よりも生産性は高かった。 しかし、13世紀以降、農奴の賦役を廃して、賃金労働を進めながら、その利潤をもとに農民の土地所有が拡大した。 それが農業生産性を高めることになった。それが、今日まで続いている。 工業化以前に中農を清算してしまったことが、ソ連農業の生産性低下の原因である。 フランス、日本、ドイツ、スウェーデンでは、工業化以前に中農を清算していない。

1976年、ソ連の人口増加率が食糧生産増加率を超えた。 ソ連は食糧をアメリカ、カナダから輸入している。 ソ連国内において、都市への人口流入が止まった。 農業生産の停滞が労働力の工業への移転を不可能にした。 工業の成長が工場と労働者の数の増加に依拠するのではなく、農業の生産性の向上に依拠せざるを得なくなった。

4.計画経済が行き詰まる。

中央集権経済で対応できない個人的消費財において、消費財流通機構の中にあらゆる種類のブラックマーケットが出現した。 これは、消費財の絶対的希少性によって生まれた。 ソ連経済が実際上機能していないことを表す。 経済的無秩序が存在している。 ブラックマーケットは、ソ連経済の表の国家経済部門と相互に関連する裏の自由経済部門である。 国家経済部門に配置された資材と労働力が自由経済部門に転用され、自由経済部門から、ブラックマーケットに財とサービスが供給されている。 例えば、単純手工業製品、医療業務、各種修繕などである。 労働者は、利潤の大きい闇の活動に傾斜することになる。 結果として、工業の生産性は低下する。 西側にも、ソ連と同様に自由経済部門と国営部門があり、危機に対して、国家の介入で乗り切っている。 しかし、ソ連の自由経済部門は手工業的な闇の活動であるため、ソ連市民の生活様式を向上させるところまで至っていない。

ソ連は消費社会を受け入れられない。 自由経済部門の拡大は中央集権部門の衰退につながるからである。 もし、個人消費財の生産を促進すると、同時に自由経済部門のブラックマーケットも増殖する。 消費社会の進化は、消費による多様化であり、各人各様への対応である。 すなわち、「プロレタリアート独裁」より「進んだ自由主義社会」が良いということになる。 大量消費は無秩序状態の萌芽である。

最も典型的な個人消費財はテレビと自動車であるが、ソ連の対応は相異なるものとなった。 テレビは、1963年、靴も満足にないのに、都市の家族の59%が持っていた。 テレビは情報と文化を統制するため中央集権化に良い手段であったからである。 自動車は、テレビと反対である。 自動車が発達すると、個人の移動性が増大する。 国内の諸地域間の市民の自由な接触を可能とする。 とりわけ、反体制派の移動が自由となる。 1976年時点で、旅行は許可を得て汽車と飛行機で行われていた。 鉄道と飛行場で個人の移動記録が残るようになっている。

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